TRPGは自己満足でできている
「自分自身に、または自分の言動に、自分で満足すること」を「自己満足」と言います。
この「自己満足を満たす」ために行動することが、TRPGにも当てはまります。
TRPGにおける「自己満足」とはなんでしょうか?
「自分の」が冠名のように付いていますが、自己満足なのだから付いていていいのです。
自分のキャラクターを作るのは、システム構造に沿った自分の分身を作り上げることなので、自己満足の最初の一歩と言えます。
現在のコンベンションでもたまーに見受けられる、プレロールドキャラクターやクイックスタートを嫌うプレイヤーは、この最初の自己満足を強く欲する典型と言えます。
キャラクターがセッションで活躍すると、プレイヤーは活躍の度合いに応じて満足感を得るようになります。
これはプレイヤーによってまちまちではありますが、うまく事が進めば、プレイヤーたちが自分の満足の形を共有し始めるようになります。
そして、更なる満足を目指して、協力してゲームを進めるようになります。
TRPGのセッションは、プレイヤー同士の自己満足の共有と、ゲームマスターの自己犠牲の上に成り立っています。
セッションの終了は、プレイヤーとゲームマスターに共通の満足感を与えます。
ところが、「セッションの成功」と「プレイヤーの自己満足の充足」はイコールではないのです。
ダイス運が悪かった、キャラクターが死んでしまった、期待していた活躍ができなかった、などで、プレイヤーの満足が満たされないこともあるのです。
満たされなかった部分は、時として反転し、「不満」という形で表されることがあります。
あと、自分の自己満足を「共有」するのではなく、他のプレイヤーやゲームマスターに「強要」するプレイヤー(「俺様は強いんだからみんな俺様に従え!」とか)や、ゲームマスターは自己満足してもプレイヤーが満足しなかったり(「吟遊詩人マスター」?)…。
プレイヤーが「自己満足」を満たすために取る行動は様々です。
まぁ、こうしてブログを書く行為自体も、筆者の「考えを見てもらいたい」という欲求を満たすためなのですが。
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コメント
率直な質問なのですが、「TRPGのセッションは、プレイヤー同士の自己満足の共有と、ゲームマスターの自己犠牲の上に成り立っています。」のであれば、なぜstealthさんは、GMをおやりになるのでしょうか?
僕はGMやるようになってから15年ほどたちますし、回数も100回は超えていると思うのですが、自己犠牲を感じたことはありません。
失敗した!と反省したり、面白かったと幸せな気分になったりしながら、楽しくGMをしているのですが?
ただ、自分が犠牲になっていると思うのなら、もうGMやらないほうがいいと思います。
投稿: 水無月冬弥 | 2009年6月25日 (木) 01時53分
拝読いたしました。
「他人を満足させて感謝されたい」も立派な自己満足ですよ。
TRPGのみならず、ほとんどすべてそうですよね。
プレイヤーの不満は「活躍できなかったから」だけで
溜まるわけではありません。穴だらけのシナリオ、
ころころ変わるルール裁定、すぐに詰まる台詞回し。
コンベンションでこういう露骨な準備不足マスターが
出てくるとその日一日最悪です。(挙句の果てに
フィギュアの色塗りが大変だったと自慢されるとかね!)
stealthさんもこんなマスターは嫌ですよね?
あと、マスターがセッションの際にする作業を
「自己犠牲」と称するのはあまりにも高慢です。
身内でセッションする・大会に応募する、形はどうであれ
マスターをやる以上は「自分から買った苦労」
ではないでしょうか?せいぜい「生みの苦しみ」くらいに
とどめておいたほうが自分自身のためです。
もしセッションがプレイヤーの自己満足とマスターの
自己犠牲で成り立ってると言い切れるのであれば、
その人にマスターの資格はありません。
マスターが自分のエゴ(もっと言うと自慰行為)を
他人にぶつけて不評を買い、それに気付けないまま
(あるいは気付かないフリをして)周りを
責めているだけではないでしょうか。
自己満足もほどが過ぎて他人の視点や考え方が
著しく欠けると、それ相応の報いを受けます。
誰しも経験があるとは思いますが。自分の考え方を
披露するのは大いに結構ですが、経験から学んだり、
フィードバックを吸収する力に欠けると
ずっと進歩のないままでしょうね。
投稿: 犬先輩 | 2009年6月25日 (木) 13時02分
>水無月冬弥様
プレイヤーのために、1円たりとも犠牲を払わないゲームマスターはいるでしょうか?
細かい話ですが、キャラクターシートのコピー代などをプレイヤーに負担させるゲームマスターは少ないと思います(いないわけではありません)。
金銭面以外で言えば、自分の頭をひねり出してシナリオを作ったり、マスターリングするわけですから、「プレイヤーを楽しませる」という名目でのGMの負担や犠牲は大小を問わずあると思います。
それをGMとして楽しめるかどうか、というのは人それぞれでしょう。
現在私はGMどころか半年近くTRPGを遊んでおりませんので、少なくともあなたの言う通りにはなっております。
>犬先輩様
ご指摘の通り「買った苦労」「産みの苦しみ」の方が適切かもしれません。
しかし、ここでは言い過ぎを承知で「自己犠牲」と書いております。
私自身ミニチュアを塗るゲーマーですので、「ペイントが大変だった」とは思いますが自慢したいとは思いません。
自慢するのならばそれにふさわしい場もありますので。
自己満足が過ぎると様々な弊害が出てくるのはご指摘の通りです。
セッションプレイヤー全員が「許容される自己満足」をどこまで共有できるか、が問題になるでしょう。
投稿: stealth | 2009年6月25日 (木) 18時55分
うーん、なぜ、お金を支払う=犠牲となるのかよくわからんのです。
そりゃ、GMはシナリオの準備をしたり、キャラシーコピーしなくちゃいけないけど、それって「犠牲」なんですかね。
僕の最愛で、TRPGに理解があって、とりあえず10年くらいはラブラブな妻との間にできた息子君は、サッカーやっていますが、GKです。ですから、練習内容や装備品(キーパーグローブ)の購入代などが、他の子と違いますが、それって犠牲なんですか?
なんていうか、ナンセンスですし、GMもいてプレイヤーもいるからゲームができるのに、GMは自己犠牲をしなければならないなんて、ネガティブキャンペーンはやめましょうよ
TRPGを楽しみましょうよ。
僕は愛する妻とかわいい子供たちと楽しく生活しながら、TRPGを楽しんでいますよ。
stealthさんもプレイヤーとしてTRPG楽しんでくださいよ
投稿: 水無月冬弥 | 2009年6月26日 (金) 00時36分
なんだか書きかけのような文章ですね。結論が出てないままのようです。多分、複数の論旨が混線して書いてるからでしょうから、数本に切り分けてリライトした方が良いと思います。
さておき、おそらく本文のテーマのひとつについてコメントをば。
プレイヤの行動を考えるとき、基礎となる楽しみがstealthさんの例示したもので、さらに「他者が楽しんでいることに共感して楽しいと感じる」という性質から生じる楽しみがあるということでしょうか。最近、色々と検証されてますよね。
ただ、PCの活躍だけで考えるのはややゲームの理解を狭めることになるかと思います。
また、ミッションの成功とセッションの成功が別という視点は珍しいものではありませんが、stealthさんの「セッションの成功というものが個々の参加者のすべての充足を意味しない」という指摘は興味深いです。
GM云々については筆が滑ったのかなと思います。
投稿: アキト | 2009年6月26日 (金) 08時28分
>水無月冬弥様
どうも「犠牲」という言葉に過剰に反応しているように思われますが、「犠牲」を辞書で調べると「ある目的のために損失となることをいとわず、大切なものをささげること。」とあります。
「プレイヤーを満足させるため、楽しませるために自分の損失をいとわない」と考えるとどうでしょうか。
ゲームマスターは多かれ少なかれ何らかの「損失」を負う役目であると私は考えます。
GMすると疲れますし、それはプレイヤーを満足させるために相応分に「犠牲」を払った、と考えることができます。
「犠牲」も「損失」もあるが、それ以上の得るものがあるのがゲームマスターではないでしょうか。
御身内の話は心の奥にしまっておきます。
>アキト様
頭の中に出てきた言葉をメモして、それに肉を付けていくようなやり方で書いておりますので、結論がない、というのも一つの方法ではないかと思います。
結びの一文がなかなか思い浮かばなかったもので。
私自身、プレイヤーで遊んでいてシナリオは大団円だったけど自分のプレイ結果には満足がいかなかったゲームも何度も体験しています。
ゲームマスターも、プレイヤー全員を個別に満足させようとするのはなかなか難しいものであると感じます。
これを突き詰めていくと、グループで遊ぶゲームではなくなってしまうかもしれません。
最後に、純粋にキーボードを叩いてできたエントリーですので、「筆が滑る」ということは有り得ないと申し上げておきます。
投稿: stealth | 2009年6月29日 (月) 19時02分
>stealthさん
あれれ。結論が出ていない、ということはstealthさんの中でも曖昧になっているということでしょうか。となれば、本文は語るに値しないというか、語っても意味がないということになるような。
それと、結びの文章と結論は関係ありませんよー。じゃないと「結論先述」とか言えなくなっちゃいます。
また、シナリオ成功(ミッション成功)とセッション成功は別に考えると良いですよね。さらに個別の満足感(成功)を考えるというのは新鮮ですね。ただ、個人の成功を突き詰めることでグループで遊ぶ形にならないというのは異論があります。良い面子で卓を遊べばそんなことないですよ。
そうそう。プレイヤで入って卓を成功させるよう動くことはないんでしょうか。そういう遊び方を覚えれば「自己犠牲」なんて戯言を言わないで済むようになるかなと思います。でも難しいかな?
末尾に。メモをとる習慣は良いですよね。エントリは全部キーボードで、ということですから、いつもノートパソコンを持ち歩いているんでしょう。オススメの道具とかありましたら教えてくださいね。
投稿: アキト | 2009年7月 1日 (水) 21時55分
お返事ありがとうございます。
ミニチュア云々のあたりが気になってらっしゃるようですが、
ひどい準備不足マスターが別な方向(単なる自己満足)
で頑張っているのはミニチュアでなくても同じことです。
個人的な経験では、
・無理に出しているのがありありの声でキャラクターボイスを気取る
「昔声優の専門学校に通っていたんですよね。どうでしょう?」
(潰れそうな喉が心配です。自然に頼みます。)
・何ともいえないビミョーなスケッチを見せて状況描写
「今日のために描いたイラストです。実は将来は
これで食べていきたいと思ってます。」
(せめてオークと女の子の区別はつけような?)
・大量のミニチュアをペイントし、敵味方のNPCとして
登場させ、戦闘時間を無駄にだるく長くする。
「シナリオは1週間でできたんですが、
ミニチュアを塗るのは3週間かかったんですよ~」
(お願いだから逆にしてくれ・・・)
なんて方がいました。とくに3つ目は最低でした。
他のプレイヤーが止めるように忠告しても押し通しました。
(そのマスターはドワーフメインのシナリオなのに
ドワーフの能力値修正すら知りませんでした)
この手の人はいかに自分が準備を重ねてきたかをアピールします。
「おもてなしの心」だの「楽しませるためなら損失をいとわない」などと
聞かされるわけです。やられる側からすれば、ゲームマスター
とも呼びたくない自己満足の塊に付き合わされます。
たまったものではありません。
前回は答えていただけなかったので、重ねてお尋ねします。
これはあくまで例であって、特定の個人を責める意図は
ありませんが、stealthさんもこういうマスターは嫌ですよね?
TRPGというゲームが自己満足によるのは然りです。
ですが、マスターの犠牲だの損失だのと言い出す輩は
自然とゲームから遠のいてしまうでしょうね。
それこそstealthさんが言うところの、
“セッションプレイヤー全員が「許容される自己満足」”
のうち、決して許されないものだからです。
投稿: 犬先輩 | 2009年7月 2日 (木) 13時13分
>「プレイヤーを満足させるため、楽しませるために自分の損失をいとわない」
みんなのためひとり苦難を背負う俺、殉教者のようでカッコイイ~!
とでもいってるみたいに聞こえますよ
苦労を厭わないのは好感が持てますが、「準備してるんだぜ」と自慢するのは『損失を厭わない』のではなく、『己の払った労力を評価し、賞賛して欲しい』という自己犠牲の精神とは対極にあるものです。『自己犠牲』を謳うのなら、いかなる形の労苦をどれだけ背負おうともそれを語るべからずではないのでしょうか?
投稿: モル/バロ | 2009年7月 2日 (木) 19時11分
突然で、加えて亀レスで失礼。
stealthさんが書かれた件の箇所って、「プレイヤーよりもマスターの方が格段に払う労力が多い。」ってだけのことですよね?
要はそれが「自己犠牲」と呼べてしまうぐらい見合わないかもということでしょ? ああそうですね、で済みそうな話だけどな。
投稿: librarian | 2009年8月13日 (木) 17時16分