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2008年3月27日 (木)

一言だけ

使命が終わることの意味 ~TRPG人気サイクルから見るTRPG市場~

>『戦国霊異伝』は発売元がイエローサブマリン内ブランド、キラメキだっただけに流通経路が限られており十分に購買層を拡大できないまま絶版になりました。だからブランドは残っており、やがて復刊.comにて復刊され、さらに『幕末霊異伝MI・BU・RO』とさらなる展開をすることができました。

事実誤認があるようなので申し上げますと、「有限会社キラメキ」はイエローサブマリン内部のブランドではありません。
『戦国霊異伝』初版はキラメキから直接出版されております。
イエローサブマリンの内部ブランド「マジカルミステリーツアー」から発売されたのは、キラメキ制作の『アコースティックリ−フ』であります。
ちなみに『幕末霊異伝MI・BU・RO』をディベロップしたのは「番長学園!!」のTEAS事務所です。

とはいえ、興味深い記事ではあります。
いつかお返ししましょう。

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2008年3月23日 (日)

TRPGと空間

最近硬いエントリーばかりだったので、今日は柔らかめのものを。

TRPGを遊ぶための「空間」について考えたことはあるでしょうか?
この「空間」は、おおよその場合、ゲームを遊ぶ「場所」と同一に考えられます。
例えば、誰かの家の部屋。
公民館の部屋。
コンベンション会場。
テーブルとベンチのある公園などなど。
D&Dプレイヤーズハンドブック3.5版の「はじめに」にはこう書いてあります。


「さあ、ゲームをプレイしようーー場所は、みんなが居心地良く過ごせて、バトル・グリッドとミニチュアを置け、ダイスをロールでき、ルールブックやキャラクター・シートを広げられるところならどこでもいい。」

TRPGは会話するゲームなので、テーブルの周りは出来るだけ静かな方がいいでしょう。
ただ、あまりに静かなのが嫌だという人もいるので、カジュアルプレイでは耳障りにならない程度にインストゥルメンタルを流すこともあるみたいです。
テーブルの大きさ、部屋の大きさ、ゲームマスターの声色と声の大きさなどで、遊ぶ条件は色々と変わってきますよね。
例えば、男性GMの大きな声よりも、女性GMのか細い声の方が、プレイヤーは必死に聞き取ろうとします。
(これは科学的に解明されています。アメリカ海軍の戦闘機では、機体の警告アナウンスの音声を男性から女性の声に変更したところ、パイロットの反応速度が上昇したという記録があります。)

お家で遊ぶ場合はともかく、コンベンションのような大きくて、人がたくさんいるところだとどうでしょうか。
会場の広さ、音の響き具合や、ほかのテーブルとの感覚なども大きな要素になってきます。
隣のテーブルの声が大きいと結構大変なんです。
コンベンションによっては、事前にGM登録を受け付けているところでは、ゲームの種類やGMの傾向によってテーブルを配置したりもしています。
極端なものでは、某18禁RPGのGMのために、わざわざテーブルを壁で仕切っていたりもしていたりして。
コンベンションの常連GMがいて、傾向が分かっている場合は、周囲のテーブルに迷惑にならないように配置されることもあるので、これはStuffの腕の見せ所でしょうか。

もう一つ、「パーソナルスペース」という考え方があります。
これは人間一人ひとりが持っている「自分だけの空間」のことで、他人に入り込まれると不快に感じる距離とでも言いましょうか。
このパーソナルスペースの多きさは人それぞれで、男性よりは女性のほうが、前よりは後ろの方がスペースが大きいと言われています。
例えば、ロングシートの電車の席の端っこに座りたい人というのは、片側だけでも自分のパーソナルスペースを確保したいという行動の現れと言えます。
デューク東郷が「俺の後ろに立つな」と言っているのにはちゃんと理由があったんですね。
TRPGの場合、多くて最大6人くらいのプレイヤー、例えば長い机に椅子3つという座り方をする場合もありますので、この場合、特に中央のプレイヤーさんがパーソナルスペースを挟まれるということになります。
これが気の知れたキャンペーン仲間であれば問題にならないかもですが、見知らぬ人と顔を合わせるコンベンションの場合、どんな人なのか分からないので、パーソナルスペースを制御することが困難になって、結果動くに動けなかったり、萎縮してしまったり、特に両側を男性に挟まれた女性の場合は声すら出せなくなってしまうこともあります。
こういうときは、女性が右か左に移動したり、スペースに余裕がある場合は左右の席を空けてもらったり、GMの対面の席に座るなどで解決できることがあります。

誰もが気持ち良く遊べる「空間」を考えてみるのも、TRPGの環境改善のひとつと思うのですがいかがでしょうか。

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2008年3月16日 (日)

入門者への扉

当ブログには、ありがたくもコメントを付けてくださる方がいる。
当方の方針として、むやみに削除したり干渉するのは公平でないと思うので、よほどのものでない限りは自由にコメントできる仕様としている(SPAM対策チェックは入れてますが)。
さて今回は、前々回のエントリーにあったコメントについて、気になったところがあったのでお返事しようと思う。


>現在のルールブックが果たして「入門書」が必要なほど難解かどうかを考えたことはないのだろうか?
入門書がないのではなく、ルールブックを読めば十分理解できて必要が無い、ということを考えたこともないのだろうか?

私は、たとえ難解であろうとなかろうと、入門書は必要であると考える。
難解であるならば平易な、平易ならばより平易な入門書が必要なのだ。
約15年前、TRPGの「ブーム」が過熱した際、数多くのTRPG入門書が発売されていた。
これは当時のルールブックが難解だったからではない。
「TRPG」というシステム構造、遊び方、そして用語などなどを覚えるのに必要だったからである。
そして、これらは今現在でも、なお入門者への障壁として存在し続けている。
「ルールブックを読めば十分理解できて必要が無い」というのは、既にTRPGを分かっている側の驕りであり傲慢でしかない。
少なくとも、ルールブックを読むための国語力や、理解するための事前準備は整えてしかるべきである。
現在のTRPG界は、前者はともかく、後者を置き去りにしている印象が否めない。
振り返ってみてほしい。
あなたがTRPGを遊び始めたとき、何らかの形で入門書に目を通さなかっただろうか?
いきなりルールブックを読んで遊び方を覚えられたのならそれはすばらしいことだが、難解で閉鎖的なルールブックを、そうスラスラと読み通せる人は、昔はそう多くなかったし、現在でも少なくない。
自分も深淵第1版のルールブックを通して読むのに数日かかったし、重要なところはラインマーカーを引いていた覚えがある。
とにかく、ルールブックを読むため(理解するため)の事前知識が、TRPGには数多く必要なのは現在でも変わらない。
その事前準備を整えずに、いきなりルールブックやリプレイで、入門者に強飯を食わせるのが現在のTRPG界なのである。


>それから、ルールブックにちりばめられたコラムやルール説明用のリプレイが入門書のような役割を果たすと思うのだが。

そのコラムは本当に入門者用のコラムだろうか?
リプレイは本当にルールの説明を果たしているだろうか?
ルールブック収録のリプレイは、遊び方の指針にはなっているが、ルールの説明になっていなかったり、下手をすると入門者向けになっていないものすらある(例:深淵第2版)。
特に、「TRPGとは何か」という根本的な説明は、ルールブックによって記載量に大きな違いがある。
TRPGの基礎概念を丹念に紹介しているルールブックもあれば、本当に簡単にしか紹介していないものもある。
特にFEARのルールブック(●●●●●●●●ー●●●●など)は、あらかじめリプレイを読んでいる人を前提にルールブックが書かれているため、TRPGについての説明は申し訳程度にしかない。
それどころか、FEARのルールブックは人に読んでもらうための努力を放棄してしまっているため、「ソーソワールドは読めても●●●●●は読めない」というプレイヤーも確実に存在する。
脱線してしまったので元に戻すが、コラムやリプレイでチョロまかすよりは、しっかりとイロハを教えてくれる入門書が必要だということである。

はたして、そんな需要があるのか?と思われるだろう。
では、D&Dのベーシック・セットやビギナーズ・セットが売れているのはなぜか?
GAME JAPAN誌にTRPGの入門記事が連載されているのはなぜか?
Role&Rollで時折入門者向けの特集が組まれ続けているのはなぜか?
いずれも、新しいプレイヤーが増えてほしいという思いの現れである。
しかし、まだまだTRPG入門者への「壁」は高く、業界は確実に収益をもたらす市場へ向いている。
かつてのように、入門者への「扉」(ポータル)を開かなければ、この世界は閉塞に向かってしまうだろう。
その鍵は、今の私たちが握っているのだから。

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2008年3月 5日 (水)

訃報続報

CNNの訃報

CBSの訃報

CNET Japanの訃報

4Gamerの訃報

CNNとCBSはD16様より。

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ゲイリー・ガイギャックス氏逝去

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いまmixiを見てたらとんでもないニュースが。
オリジナルのD&DデザイナーであるE.ゲイリー・ガイギャックス氏が亡くなったとのことです。
D&Dでこの世界に足を踏み入れたものとしては残念以外の何者でもありません。
当サークルとしても氏の「ロールプレイング・ゲームの達人」をネタにしたことがありますので、非常に尊敬しておりました。
偉大なイモータルになった先生に最敬礼。
合掌。

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2008年3月 2日 (日)

方向性の違い

前回のエントリーで、「TRPGは盛り返してきている」と書いた。
繰り返すが、底を打っていた1995〜1998年頃と比較すると、新作や関連商品は毎月のように発売され、TRPGを取り扱っている月刊誌も2つあり、プレイ環境は整備されて続けてきたものを使い続けている。
しかし、その前の(1990〜1994頃)過熱ぶりを知っている人から見ると、「また一過性のものなのではないか」と言われたり、「言うほどプレイヤーが増えてないじゃないか」と言う人もいる。
実はその認識は正しい。
なぜなら、16年前の過熱ぶりと、現在の盛り返しでは、そもそも方向性が異なるからである。

16年前の「TRPGブーム」は、簡単に言えば「金になりそうだからやってみよう」というメーカーが多く、システムの出来は玉石混淆で、傑作もあればどうしようもない駄作もあった。
それでも、角川とか角川(富士見)とか角川(メディアワークス)が自社作品のメディアミックス戦略の一環として、人気作品のプッシュをこれでもかと行っていたので、この時期からTRPGに手を染めたという人はとても多かった。
その尻馬に乗ったそれに追従する形で大小問わず、多くの企業がいろんなRPGシステムを出したので、当時のプレイヤーは非常に選択肢が多かったのだ。
(が、ソードワールドが以上に人気があったので、当時のコンベンションではソードワールドだけを遊びたいプレイヤーがあちこちで増殖し、ソードワールドのマスターが出来ないGMにお帰り頂いたこともあった)
また、TRPGの入門書、ゲームマスターの入門書、様々な副読本や関連書籍などが豊富に売られていたので、それらを読んで楽しみを広げることも出来た。
言わば、「TRPGの市場を拡大するためのブーム」だったと。

対して現在はどうか。
簡単に言えば「現存の市場の維持」のために盛り返している、と言えるのではないか?
「冬の時代」を生き残って来たプレイヤーは、10年経ってタフになった。
「冬の時代」に直面したメーカーは、生き残ったり淘汰されたりして、無秩序な市場の拡大を反省した。
「冬の時代」以降にTRPGに足を踏み入れた新しいプレイヤーは、新たな資金源である。
「質より量」の時代ではなくなった。
現在のTRPGの市場を維持するために、新しいプレイヤーよりも今いるプレイヤーをなんとかして維持しようとして営業活動を行っているように見える。
穿った見方をすれば、今のお客様から金を搾り取れるように、深く、濃い内容のものを集中的に投入しているのである。
目の肥えたゲーマーからフォアグラでも採るつもりなんだろうか?

その証拠に、今TRPGの「入門書」はあるだろうか?
あるのはリプレイばかりである。
しかも、そのリプレイは「入門用」だろうか?
リプレイを先行して発売し、収穫層を確保した上でシステムを発売する。
基本ルールブックは文庫なのに、上級ルールブックはサイズが違い、しかも高価。
でも、プレイヤーはみんな「上級」を求めるから、いやでもそれを買わなければならない。
新規参入者への高い障壁を放置し、その障壁を乗り越えたプレイヤーを囲い込む。
13年前に多くのTRPGプレイヤーが望んだ「結果」がここにある。

あなたは、この「現状」に満足しているだろうか?

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