2010年2月 8日 (月)

GM用ルールをプレイヤーが読む

お久しぶりです。
先のエントリーで挙げました通り、同人誌の通販を受け付けておりますので、この機会にご用命頂ければ幸いです。

TRPGのルールブックには、プレイヤー用のルールと、ゲームマスター用のルールがある訳です。
昔の箱入りのルールセットですと、プレイヤー用のルールブックとマスター用のルールブックが別になっていることが当たり前でした。
今の書籍タイプのルールブックですと、プレイヤーのルールとマスターのルールが分けて書かれていることが普通ですね。
FEAR作品では「ルールセクション」「ゲームマスターセクション」と明確に分けられていますし。
プレイヤーはプレイヤーのルール、マスターはそれに加えてマスター用のルールを扱っていた訳です。
昔は、プレイヤーはマスター用のルールにアクセスすることを(名目上は)制限されていました。
なぜか?
クラシックD&Dのダンジョンマスター用ルールブックの冒頭には、「プレイヤー専門の人はこの本を読まないで下さい」という一文がありました。
シナリオはともかく、モンスターのデータなどのマスター用のルールを知ってしまうと、プレイヤーの面白みが減ってしまうと考えられていたからです。
この方向性は、正確な時機は分かりませんが、とにかく10年以上は続き、国産TRPGルールのデザイン(や読ませ方)にも少なくない影響をもたらしていました。

ところが、現在はそうではありません。
シナリオはともかく、現在はプレイヤーもマスター用ルールを参照することを(名目上は)制限されていません。
D&Dは第3版になり、「プレイヤーズ・ハンドブック」、「ダンジョン・マスターズ・ガイド」、「モンスターマニュアル」と分かれているのはAD&Dから変わりませんが、3.5版プレイヤーズ・ハンドブックの冒頭4ページではプレイに必要なものとしてこの3冊が挙げられており、「各プレイヤーが全部の本を1冊ずつ持っておくと便利」と書いてあります。
第4版ともなると、プレイヤーズ・ハンドブック9ページにて、ダンジョン・マスターズ・ガイドとモンスターマニュアルについて「その内容はプレイヤーが読んでも楽しめるだろう」と、積極的に読むことを勧めています。

なぜ、こうなったのでしょうか?
私は2つの理由を考えました。
1つめは、ゲームマスターはプレイヤーがルール上でズルをしないように管理する役目を持ちますが、これの逆、つまりマスター用ルールをオープンにすることで「ゲームマスターもルール上のズルができないようにして、関係を対等にしよう」という思想です。
昔は、「ゲームマスターは神だ」と言われるように、ゲームマスターはルールを何でも自由に動かしてしまうことができました。
現在でもルールの最終的な決定権はマスターにありますが、FEARのシステム群に代表されるように、ゲームマスター用ルールもプレイヤー用ルールと同様にかっちりと作り込んで規定化・明文化することで、以前のようなマスターの原因によるセッション崩壊や暴走は(ルールを守っている限りは)起こりにくくなっています。
ある意味で、「マスターもこれだけルールに従っているんだ」とプレイヤーに分からせる意味もあると思います。

2つめは、「プレイヤーにマスターの補助や援護をしてもらおう」という考えです。
これは、一昨年私が実際にD&D3.5版のDMをしたときに、ルールの運用や細かいモンスターのルールなど、私が読み落としていた(忘れていた)ルールを色々とフォローして下さいました。
あの時の皆さん本当にありがとうございます、そしてすみませんでした。
私みたいなド忘れマスターでなくとも、たとえば初心者マスターと初心者プレイヤー同士で、ルールを互いにフォローしながらゲームを進めていくという光景もよく見られます。
そういうのもTRPGの楽しみ方のひとつと考えれば、マスター用ルールをプレイヤーが知っていても、何の問題もなく、むしろゲームが円滑に進むことは想像に難くありません。
まぁ、困った人だとマスターに片っ端から「そこは違うぞ」とツッコミを入れる人もいる訳なのですが…。

あ、そういえば、私まだD&D第4版のモンスターマニュアル買ってないんだった。
今度買ってこよう。

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2010年2月 6日 (土)

同人誌通販受付開始

2009年の冬コミで発行した「ひと夏の機会攻撃」と、2008年の「RPGゲーマーがくがく読本」の通信頒布を開始いたしました。
詳細は専用ページをごらん下さい。
本代と送料のみ?(本が高いですが…)でご注文できます。
例によって、いつ突然終了するかもしれませんので、冬コミに行けなかった皆様も、そうでない皆様も、ぜひご高覧の上、皆様のご注文をお待ち申し上げております。

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2009年12月29日 (火)

ご来場ありがとうございました

コミックマーケット77で当ブースにご来場頂きました皆様、本を買って下さいました皆様、誠にありがとうございました。
おかげさまで無事にサークル参加を果たすことができました。

次回は5/30のゲームマーケットを予定しております。

皆様よい新年をお迎えください。

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2009年12月28日 (月)

いよいよ明日です

いよいよ明日はコミケ当日です。
今日は設営に行ってきまして、当日の見取りも分かりました。
いよいよ明日に向けて最後の準備中です。

ここで、明日当ブースにお立ち寄りくださる皆様に、2点ほどお願いがございます。
1つ目。
売り子が私を含めて2人しかおりません。
なんとか私がいるようにはしますが、私も西地区に行く用事があるので売り子が1人しかいない時もございます。
多客時には多少お時間を頂くことがあるかと思いますが、その時はどうかご寛大な心を持ってお待ち頂きますようお願いいたします。
特に今回、隣のサークルがアレなので、人の流れ的に大変なことが予想されますので。

2つ目。
当日100円玉が不足されることが予想されます。
お釣り分を確保はしましたが、なるべくなら小銭のご用意をお願いいたします。

3つ目。
風邪・インフルエンザ対策を強くお勧めします。
コミケのあの環境で伝染してしまうと後々が大変なので、可能であれば各自マスクの御使用をお薦めします。

明日の皆様のご来場を心よりお待ちしております。

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2009年12月 5日 (土)

コミックマーケット77参加TRPGサークルリスト公開

りういち君よりお知らせです。

コミックマーケット77にサークル参加されるサークルのリストを掲載しました。
携帯版もありますのでサークルチェックにぜひお使いください。

とのことです。

ついでにうちのサークルのコミケ情報もあげましたので、こちらもご覧頂ければ幸いです。

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2009年11月21日 (土)

ルールブックが書店で買える喜び

Yaesubc今日、印刷所に冬の新刊の入稿に行く途中、東京の八重洲ブックセンターに寄りました。
今月はまだRole&Rollを買っていなかったので、まさか八重洲ブックセンターのような大人向けの書店で置いてあるとは思いませんでしたが、なんと6階に2冊も並んでいて驚きました。
早速購入してレシートを見たら、「児童書」ってあるじゃないですか。
どうやら、八重洲ブックセンターでは、ゲーム関連の本はみんな「児童書」扱いされているみたいです。


そこで思い出したことがありました。
TRPGのルールブックは、今でこそ「ゲーム攻略本」の扱いで書店に並ぶ機会も多いですが、それ以前はどうだったのか?ということを知る人も年々減ってきています(というか、新しい人達が入ってきているからですが)。
というわけで、またも昔語りになってしまいますが、TRPGの流通の歴史をまとめてみます。



TRPGのルールセットは当初、シミュレーションゲームやボードゲームと同じ、「アダルトホビー」の流通経路を通っていました。
平たく言えば「玩具」と同じだったのです。
代表例として、クラシックD&Dの「ベーシックセット」(いわゆる赤箱)は、文字通り赤い箱の中に、ルールブック2つとサイコロ一式が入ったセットでした。
これが、おもちゃの流通経路を通り、ホビーショップに卸されていました。
今から考えれば信じられないかもしれませんが、20年前はシミュレーションやボードゲームを扱っている専門店でしかTRPGを買えなかったのです。
たとえば、私の20年前と言えば高校生ですが、渋谷パルコの6Fにあった「MARK」というホビーショップに足しげく通い、ルールブックやサイコロ、ミニチュア、ゲーム雑誌などを買い集めたものでした。
(ちなみにこの店、現在は「ポストホビー渋谷店」と名を変え、去年あたりまでTRPGを扱っていましたが、現在はミニカーの専門店になっています。あそこでD&D3版も各種買ってたんだけどなぁ。)
当時は新宿のイエローサブマリン(現在の新宿ゲームショップ)も既にありましたので、ちょっと足を伸ばして買いにいくというのもありでしたが、とにかく専門店でなければTRPGを買えなかったのです。



こうした状況を打破したのが、文庫版のルールブックでした。たとえば「T&T」や「混沌の渦」など、社会思想社から出た文庫のルールブックは、それまで専門店でしか買えなかったTRPGのシステムを、書店でも注文できるようにしたということが大きな功績でした。サイコロは別売りでも、文庫本サイズで場所を取らず、何より書籍流通なので安い、というのが大きな利点でした。
そして1989年、「ソード・ワールドRPG」(現在の1.0)の基本ルールブックが文庫で発売されると、メディアミックス戦略も奏功して爆発的なヒットとなり、「文庫ルールブック」の地位は確固たるものになりました。
ソードワールド1.0は1冊に基本的なルールとデータが入って、シナリオやサイコロは付いていませんでしたが560円(当時)という低価格が好評で、それまでルールセットひとつ4000円5000円していたものを買っていた人も、高くて買えなかった人にも天恵をもたらしました。
ソードワールド1.0は、続く追加ルール集も、リプレイも、シナリオ集も、ノベルも、とにかく関連商品が(完全版ルールブックが出るまで)ほとんど全部文庫で出たというのが凄いところで、書籍流通のしやすさと低価格が若年層のプレイヤーを中心に大きな支持を受け、有名なシステムにしていった要因のひとつとして挙げることができます。



しかし、文庫版ルールブックはあるひとつの問題を持っています。
それは、「情報量の限界」ということです。
文庫サイズである以上、ひとつのページに載せられる情報量(ルールやデータなど)は限られてきます。
フォントを小さくして詰め込もうとすると、読みにくさが目立ってしまいます。
情報量を多くすると、どうしてもページが増えてしまい、分冊という形を取らざるを得なくなるのです。
昔の「ウォーハンマーRPG」は、「3つの分冊ルールブックを並べると立方体になる」なんて言われたりもしました。
今手元にある「アリアンロッドRPG」の基本ルールブックも350ページほどあります。
この問題は、現在のソードワールド2.0やダブルクロス3rdでも解決されていません。



そこで登場したのが、A4サイズやB5サイズのいわゆる「ムック」と呼ばれるサイズのルールブックです。
このサイズでは、情報量を無理なくまとめることができ、ページ数を増やしても読む人の負担が増えにくいという利点があります。
1990年頃からぽつぽつと出始めた形式で、角川書店の「コンプコレクション」として出たものもありますが(「ロードス島戦記コンパニオン」「ダブルムーン伝説TRPG」「フォーチュン・クエストコンパニオン」など)、本格的にムックでルールブックを出し始めたのは1994年頃のアスペクト(現在のエンターブレイン)がメインだったと思います(手元に資料がないので、正確な年号やどんなタイトルだったかは分かりません。ご存知の方はご教示ください)。



この「ムックのTRPG」ですが、流通側でも最初は何ジャンルの本か分からず、とりあえずコンピューター関連のところに並んでいたこともあったとか。
現在のように「ゲーム攻略本」の扱いになっているのは今から10年以内のことなのだそうです。
しかし、実際の書店を見ればお分かりになるかと思いますが、(本当の)ゲームの攻略本というのは子供の手でも持ちやすいようにA5サイズが主流で、書店側もA5サイズの攻略本を中心に棚を揃えています。
ムックのTRPG本は、ゲームの画集やビジュアルブックと言った、「大型本」を揃えている書店の棚の中に埋もれていることも珍しくありません。
ムックのTRPGルールブックは安くて3000円、高くて6000円に近い価格ですが、本としての扱いの良さと読みやすさ、使いやすさから、現在の判型の主流になっているのは皆様もご存知の通りです。



さらに、2002年に黒船が訪れます。
「D&D」第3版の日本語版です。
D&D第3版はムックよりも大きいA4サイズ、しかも300ページを超える全てがフルカラー印刷という、それまでの日本のルールブックの常識を覆すボリュームでやってきました。
しかも、ごく一部を除いたサプリメントも全ページフルカラーで、まさに大型本のスペースを生かした美しいビジュアルが読む人を驚かせました(ただし、第3版のシナリオはモノクロ本文のものの方が多いです。フルカラーなのは「赤き手は滅びのしるし」くらい)。
英語版のD&Dを知らない人の多くからは、「これが本場のルールブックなのか」と驚嘆の声が上がり、知っている人の多くからも、日本語版の翻訳の素晴らしさと完成度の高さに驚嘆の声が上がりました。
D&D第3版の日本語版は、国内のTRPG関係者に多大な影響を与える結果を残しました(その後、日本国内のルールブックでも、「無限のファンタジア」と「シルバーレインRPG」で全ページフルカラーが実現しています)。



しかし、そんな豪勢なD&Dにも弱点があります。
ひとつは、価格の高さ。
先に述べた通り、ムックのルールブックは3000円からの価格帯となっていますが(「無限のファンタジア」はフルカラーで3000円!)、D&Dの基本ルールブックは3分冊で5800円からの値段となっており、これはかつてのクラシックD&Dのボックスセットを超える高額商品となっています。
英語版のプレイヤーズ・ハンドブックは$29.95ですので、今日の為替レートとすると、日本語版PHB1冊の値段で英語版が2冊買える計算です。
この理由として、日本語版は印刷全てを国内の工場で行っていること(そして日本の紙代や印刷費が世界と比して高額であること)、Wizards社に払う翻訳権料やマージン、翻訳にかかる費用や流通の費用などがかかっているのが原因です。
もうひとつの弱点は流通が弱いことです。
D&Dのルールブック各種にはISBNコードが割り振られていることから、一般的には「書籍」として認識されています。
一般的には、書店に卸された書籍は、売れなければ流通経路で返本ができる制度が設けられています。
ところが、D&D(やホビージャパン版の「ウォーハンマーRPG」)にはこの制度が適用されていません。
現在のD&Dは、かつてのクラシックD&Dと同様に、玩具の流通経路を通っているのです。
そのため、D&D関連商品を買うと付いてくる店向けの注文票には、小さく「※買切商品となります」と書かれています。
つまり、注文しても売れなかったから返本するということができないのです。
なぜ書籍流通ではなく玩具流通なのかは知りませんが、私が察するに、高額商品であるが故の返本のリスクを避けるためだと考えられます。
(昔、ホビージャパンは1993年にウォー・シミュレーションの本「無血戦争」5800円を出して大失敗しました。また、1997年には漫画雑誌「コミックジャパン」を創刊しましたが、創刊後13日で休刊が決定した過去を持ちます。その後、同名の漫画雑誌が別会社から出ていることを考えると事実上の廃刊。)
しかし、D&Dの現状はご存知の通りで、高額商品にも関わらず毎月関連商品が出続け、プレイヤーの年齢層が高いこともあって平均以上の顧客の獲得に成功し、今やホビージャパンの主力商品に躍り出ています。
弱いと言われていた流通の問題も、Amazonなどのネットショップでの売り上げが有効に機能していることもあり、改善の兆候が続いています。
(昔、自分はネットショップで在庫が無かった「バトルテック」を、わざわざ仙台のホビーショップに電話して取り寄せてもらったことがありました。懐かしい思い出です。)
D&Dは日本のTRPGの歴史を3度塗り変えましたが、流通面も塗り替えることができるでしょうか?



話を文庫ゲームに戻します。
2008年になって、ムックのTRPGルールブックが隆盛であるにも関わらず、ソード・ワールド2.0は3分冊の文庫として世に放たれました。
2009年にはダブルクロス3rdも2分冊の文庫として発売されました。
わざわざ読みにくさ、使いにくさのリスクを負ってまで、なぜ今文庫、それも分冊ルールブックなのでしょうか?
特に、ダブルクロスは1st,2ndともにムックのルールブックだったのに、です。
私は、この最大の要因は「流通」であると考えます。
富士見書房(=角川グループパブリッシング)の強力な販売網を駆使して、少しでも安く、一人でも多くの人にTRPGのルールブックを届けたい、という意志を感じるのです。
かつて、ソード・ワールド1.0やアリアンロッドがそうして成功したように。
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この画像のように、TRPGのルールブックを「ライトノベル」の一種として扱う書店すらあります。(嘘だと思うなら溝の口の文教堂本店3Fに行ってみて下さい。文庫だけじゃなくてムックのルールブックもここに並んでいます)。
TRPGのプレイ人口を増やそうとするパブリッシャー側の努力は、今現在も続いているのです。



TRPGのルールブックが書店で買える。
今となっては当たり前かもしれませんが、そうなった背景と努力を考えてみるのもいいかもしれません。

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2009年10月30日 (金)

コミックマーケット77当選

コミックマーケット77のサークル参加が決定しました。
12/29日の東2ホール「O59b」であります。
周辺のサークルの皆様、当日はよろしくお願いいたします。

なお、今回はいつもとは配置傾向が異なっております(というか、意図的にそうしました)。
ことの詳細はまた後日お知らせいたしますので、続報をお待ちください。

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2009年10月13日 (火)

ゲームできて仲間もいる人達がぶーぶーぶっこいてる不満

前回に引き続き、「ぴよぷー☆生活」の中にある文章(52ページ)から。




「普段ゲームする仲間がいなくて遊べなくて困ってる人たちがーこのままじゃいけないってんでTRPG人口ふやそーとしてるっつーのに」

「ゲームできて仲間もいる人達が不満ぶーぶーぶっこいてるからTRPGなんて面白くないとか言われちゃってー」



つまりTRPGが遊べる環境にあるのなら不満は出ないはずだ、あるいは、不満なんか言うな?遊べりゃ満足だろう?と言っている辺りです。
で、そのぶーぶーぶっこいてる不満の数々がコレ。



「初心者が増えていやだ」
「新しいゲームなんて出すな」
「○ード○ールドやってるやつはダメ!」
「国外ゲーム最高!!それ以外みとめない」
「オレら上級者から金をとるな」
「サプリメント出せサポートしろ」
「イベントはどれもダメだ」
「コンベンションは金をとるな」等々



皆様、この不満の数々をどう思われます?
私が知っている限りでは、「○ード○ールドやってるやつはダメ!」と「国外ゲーム最高!!それ以外みとめない」を言っていたプレイヤーは実際に当時のコンベンションで見かけたのですが、他のものとなりますと、実際にあったかどうかも疑わしいものも見受けられるのです。
まぁ、全部が実在じゃなくて多少の誇張があるとは思いますが、それではひとつずつ検証していきましょうか?



「初心者が増えていやだ」

初心者が増えるとなぜ嫌なのでしょうか?
ルールを教えるのが面倒くさいからでしょうか?
いつものノリや空気が使えなかったり、プレイが阻害されるからですか?
でも振り返ってみて下さい。
そういっていたあなたも最初は初心者だったはずでは?
あなたが初心者だった頃、周りのプレイヤーはあなたを快く受け入れてくれましたか?
もしそうだったら、新しい初心者も快く受け入れてあげませんか?
ルールを教えたり、コンボやテクニックを教えるのもTRPGの楽しみのひとつと考えれば、それほど苦痛でもないのではありませんか?
それでもなお、「初心者が嫌だ」というのなら、ベテランだけを集めて身内プレイをすればいいだけのことですから。




「新しいゲームなんて出すな」

残念ながら、どんな新作ゲームにも営業上の「寿命」があります。
クラシックD&Dに始まり、AD&D、D&D3版、目新しいところでは3.5版も「寿命」を全うしました。
この「寿命」は、サプリメントやサポートの継続で「延命」が可能です。
それでも、様々な要因で「寿命」は来てしまいます。
基本ルールブックが品切れになってしまったり、絶版になってしまったり、最悪の場合、デザイナーが夭折したり出版社が潰れたりすることさえあります。
ソードワールド1.0が「完全版」になり、「カードRPG」になり、「ベーシック」に原点帰りして、あれだけリプレイやシナリオが出たとしても、いつかは営業上の「寿命」を迎えてしまいます。
D&D3.5やソードワールド1.0は、改版という形でめでたく「寿命」を全うしました。
ゲームデザイナーや出版社は、ゲームが「寿命」を迎えてしまう前に、新しいゲームを出さなければ食っていけません。
新しいゲームが出れば、プレイ人口は変動し(多くの場合増加ですが、極まれに減少ということもあります。何とはいいませんが)、プレイの選択肢が増え、新しいプレイヤーが入ってくる可能性も期待できます。
では、なぜ「新しいゲームを嫌う」のでしょうか?
今まで自分が遊んできたゲーム環境が崩れるのを危惧してのことでしょうか?
新しいゲームが出ることで、今までのゲームの環境が崩れることがあるのならば、その環境自体に問題がある可能性を考えなければいけません。
新作ゲームが出ると自分のパイが減ってしまうのでしょうか?
新しいゲームが出ても、これまでの自分のゲーム環境が崩れなければ、何も被害をもたらさないはずでしょう?
もし環境が崩れてしまっても、新しく環境を再構築することは難しくないはずです。
自分が愛しているゲームを遊び続ければ良いのですから。




「○ード○ールドやってるやつはダメ!」

これ、どんなシステムにも当てはまりますよね?
「○&Dやってるやつはダメ!」
「○ブルクロスやってるやつはダメ!」
「○イドRPGやってるやつはダメ!」などなど。
指摘したゲームをやってる人の、一体どこがダメなんでしょうか?
遊び方がダメ?
プレイ思想がダメ?
プレイマナーがなってないからダメ?
ソードワールド1.0を例に挙げるならば、プレイ人口が爆発的に増加した1991〜1994年頃、各地のコンベンションでソードワールドのプレイヤーが起こした行動が問題になったことがありました。
ソードワールドのプレイヤーができないと、他のゲームに回らずに帰ってしまったり。
ソードワールドのゲームマスターが足らないと、他の不人気な卓のゲームマスターを無理矢理ソードワールドのマスターに変えてしまったり。
コンベンションの主催者側でも、他のプレイヤーに迷惑が及ばないように、ソードワールドのテーブルだけ別の部屋に隔離したり。
しかし、これらの現象の多くは、その数年前にクラシックD&Dでも起こっていました。
クラシックD&Dでも、プレイヤーによる問題行動が挙げられていたことがあり、その対策として「当コンベンションではD&Dのダンジョンマスターを用意していません」と告知するところもありました。
特定のゲームを遊んでいるからといって、そのプレイヤーの人格を否定することはない、あってはならないと思います。
それはシステムの責任ではないのですから。




「国外ゲーム最高!!それ以外みとめない」

国外ゲームが素晴らしいというのなら、それを尊重してあげればいいだけのことです。
国外ゲームで遊んでいる人達は、自分たちのコミュニティが維持されている限りはあまり外に噛み付いたりはしないでしょう。
せいぜい「まーた国産の新作が出た、ダメだこりゃ、ケケケケケ」と身内で冷笑しているくらいです。
ところが、たまーにコンベンションで現れると、ちょっと困ったことになる可能性があります。
あるゲームマスターがコンベンションでソードワールド1.0のマスターを務めたのですが、たまたまプレイヤーに入っていた「国外ゲーム最高」な人に、シナリオをズタズタに引き裂かれたあげく、ゲーム終了後に「やっぱりソードワールドはダメだ。こんなヌルいシナリオより、みんなでルーンクエストやらない?」と吹聴されまくったのを、昔恨み節のように聞かされた記憶があります。
また、「国外ゲーム最高」な人がマスターやったりプレイヤーに混ざったりすると、そのシビアさを知らないプレイヤーが怖がってしまい、「D&D怖い」「洋ゲー怖い」という印象を持たれてしまうことすらあります。
さらに、国外ゲームが日本語化されると、その日本語版ルールブックやプレイヤーを嘲笑したりするのもこのタイプです。
とはいえ、下手に手を出したりしない限りは牙をむいてこないので、そっとしておいてあげましょう。




「オレら上級者から金をとるな」

コレに付いては噴飯モノです。
上級者になるほど、ゲームに使うお金が増えていくのが普通じゃないんですか?
たとえば、D&D3.0と3.5プレイヤーとして遊ぶだけならプレイヤーズ・ハンドブックだけで済みますが、全部のルールブックを揃えるのなら日本語版だけでも40万に迫る金額が必要でした。
ちなみに、現在の4版でも既刊のルールブック全部を揃えると5万を超える代物となっております。
ゲームの面白さが分かってくると、上級ルールブックを買ったり、リプレイを買い足したり、どんどんお金をつぎ込んでいくのが普通ですよね。
そんなわけで、なぜ「上級者から金をとるな」という不満が出てきたのかが不思議です。
上級者ほど「金を使わずに遊ぶ術を知っている」とでも言いたいんですかね?




「サプリメント出せサポートしろ」

これも、どこが不満なのか判断に困ります。
今のTRPGシステムでは、サプリメントやサポートが出ない方が珍しいという状況になっておりますので、よほどのことがない限りは不満にならないでしょう。
どうしてもサポートが出ないというのなら、自分でやってしまうという手もあります。
webや同人誌という形で、サプリメントやサポートを出してしまうのです。
たとえば、アメリカで発行されていたルーンクエストの同人誌「Tales of the Reaching Moon」は、日本でもRPGマガジンで紹介された有名なサポート同人誌でした。
制作者に対して、「サプリメント出せサポートしろ」というのは、不満どころか正当な意見、権利のうちだと思います。
「ゲーマーズ・フィールド」や「Role&Roll」はそのための雑誌なのですから。




「イベントはどれもダメだ」

これも抽象的すぎて、どこがどうダメなのかが明らかになっていません。
こういう「ダメ」判断は、主観的になりがちです。
曰く「俺が楽しめなかったからこのイベントはダメだ」というものですね。
「ダメだ」と思ったら、主催者側にどんどん意見を送れば良いと思います。
採用されるかはともかく、参加者からの声が多く集まれば主催者側も改善しなければと奮起することでしょう。
そこで改善されなかったら、「本当にダメだ」と思うしかないわけなのですが。
「本当にダメだ」と思ったら、残念ですが参加しない方向に行くしかないのです。
あるいは、自分で満足のいく楽しみ方をするか、です。




「コンベンションは金をとるな」

JGCやGFコンのように企業主催のコンベンションならともかく、一般ゲーマーが主催する普通のコンベンションまで金をとるな、というのには無理があります。
コンベンションを開けるほどの施設を主催者やStuffの全額自腹で開催する、というのは、よほどの太っ腹と覚悟でないとキツイものです。
私は実際、50人規模の会場を全額自腹で借りて参加費無料のコンベンションを開いたことがありますが、参加者の方から「なんで参加費取らないの?」と聞かれたことがあります。
理由は「参加者の負担を少しでも減らすため」というものでしたが、世の中のコンベンション主催者が全員そんな献身性を持っているわけではないので、参加者(とStuff)に公平に参加費を負担してもらう、というのが一般的です。
この「コンベンションは金をとるな」という不満は、おそらくコンベンションが儲かるという観念を持っているのではないでしょうか?
実際運営に携わってみるとお分かりかと思いますが、会場費や諸経費でトントンが限界で、とてもじゃないが儲けというほどのものは出ないというのが現状です。
まぁ黒字が出ても、次回の運営費に回すか、一発ものだったら打ち上げでコーヒーの一杯でも出すという位にしかなりません。


以上、「ゲームできて仲間もいる人達がぶーぶーぶっこいてる不満」を検証してみました。
まぁ10年前の本の話なので、今のゲーマーがぶっこいてる不満とはかなり違うのかもしれませんが、もし今の不満があるのならば、機会を見てそれも検証してみたいと思います。

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2009年9月11日 (金)

努力することと、上達すること

コミケもJGCも終わりまして、後処理も済んで、iTunes9も来て(SnowLeopardは自分には関係ありません)、ようやくブログを更新する時間ができました。
で、自分の書庫には何回か前のコミケで買った同人誌とかが紙袋に包まれたまま未整理の状態で転がっていたりしていたのですが、これをなんとか整理していたところ、書庫の隅っこから金澤尚子先生の『ぴよぷー☆生活』が出てきました。
この漫画も単行本発売されたのが9年半前でして、FEARのサイトでは品切れとなっておりまして、しかも金澤先生とFEARの現在の関係を察するに再販も絶望的なので新品入手はほぼ不可能という、既に過去の遺物となりかけている代物であります。
私としては「くいっくすたーと」みてぇなGF会員にしかネタが分からんような身内受けで終わっている漫画を出すよりも、コレや『ぴよぷー☆生活2』のような含蓄が豊富になってためになる本をぜひとも再販して頂きたいと思うのですがどうでしょうか社長?



さて、ここで『ぴよぷー☆生活』を引き合いに出したのは、最近私がふと思ったことがこの本にも載っていたのを思い出したからであります。




TRPGを遊び続けて、面白さが分かってくると、より面白くなりたい、よりうまく遊べるようになりたいという『向上心』が芽生えてくることでしょう。
当然だと思います。
面白みが分からなければ、向上心も何もあったもんじゃないですから。
向上心を実現させるために、プレイヤーは『努力』します。
これも当然だと思います。





私は(私も)、『向上のための努力』を否定しません。




「より良く遊ぶために努力する」、すばらしいことだと思います。
「より良く遊ぶために勉強する」、これもいいことだと思います。




でも。
人に向かって「よりよく遊ぶために努力しろ」と言うことは、本当に素晴らしいことなのでしょうか?
「よりよく遊ぶために勉強しろ」と言うことは、本当にいいことなのでしょうか?




この話をするためには、「TRPGにおける努力」や「勉強」が一体なんなのかを考える必要があります。
考えられるものを、ざっと羅列してみましょう。




  • ルールブックを読み込み、ルールを頭に叩き込む

  • リプレイを読み、遊び方を覚える

  • 上級ルールやサプリメントを買って追加ルールや設定を覚える

  • ルールの運用を実際にシミュレートして流れを覚える

  • 効率の良いコンボや特技を編み出す

  • 雑誌や会誌のサポート記事を読む

  • 知っている人のいないサークルやコンベンションに武者修行に出る

  • ミニチュアのペイントの腕を磨く

  • 図書館でファンタジーや中世の資料を読み込む

  • 映画を見たり小説を読んだりして空想力を高める

  • 本物の洞窟や古代の城塞を見学して構造を学ぶ

  • 中世ヨーロッパの武具を着る集まりに参加する

  • ネット上のRPG論考を読む

  • 対人会話術のスキルを身に付ける

  • キャラクターのイラストがうまく描けるように練習する

  • 対人説得術、詭弁術の腕を磨く

  • 口プロレスを練習する

  • 他のプレイヤーに論破されない等に理論武装する

  • サイコロの目が少しでも高くなるように振り方を練習する

  • ルールの行間を読んで、少しでも自分のキャラクターが強くなるようにする





  • …とりあえずこのくらいにしておきましょうか。
    念のために申し上げますと、今挙げたのは全部日本の実話です。
    RPGの本場アメリカともなりますと、「死んだペットを魔法陣と儀式で甦らせようとする」とか、「『RPGは悪魔のゲームだ』と主張している宗教団体のあしらい方を覚える」などなど、シャレにならない事例になってしまいますので…



    話を戻します。
    『ぴよぷー☆生活』では、29ページで「なんで遊ぶのに勉強せにゃあかんの」という一コマがあります。
    これに対して、32ページには、読者からのコメントが掲載されています。




    「早い話がTRPGを真の意味で楽しむためには、プロのつもりでやれ、というわけです。大体、勉強や努力を一切行わずに存分に楽しめる娯楽なぞ私は聞いたことがありません。」(一部抜粋)




    プロのつもりでやれ、というのは過剰な誇張だと思いたいですが、勉強や努力を一切行わずに、というのには反論の余地があります。
    というのは、TRPGのシステム構造(の一部)が、事前の勉強や努力を徐々に必要としない方向に進んでいるからです。
    (スクウェア・エニックスの)『ドラゴンクエスト』第1作は、「プレイヤーが説明書を読まなくても遊べるように」デザインされた、という話は有名です。
    勇者に名前を付けて、その次には勇者はラダトームの城の王様の目の前にいます。
    王様から説明を受け、お金と鍵をもらって、その鍵で扉を開ける。
    こうして勇者の旅が始まる。
    事前に何の説明がなくとも、ボタンを押せば話が始まるのです。
    他の必要な情報も、城内や街で人に話せば手に入ります。
    TRPGでも、「ルールブックを読む」という最低限の作業は必要ですが、それ以外の作業は可能な限り簡略化されたものが用意されている方向性があります。
    たとえば、プレイヤーキャラクターを作成するのに手間や時間がかかったりする場合、「アーキタイプ」「テンプレート」「クイックスタート」などの簡略化された手段が用意されています。
    これは、キャラクター作成のためのルールを読まなくてもすぐ(!?)に遊べるようにという配慮の一つです。
    システムによっては、キャラクターを全てサイコロの目だけで作成できることすらあります。



    ルールの基本構造も、簡略化される方向にあります。
    クラシックD&Dでは、20面サイコロの目が高ければ良かったり、低ければ良かったりと、判定によってサイコロの使い方がバラバラでした。
    しかし、D&D3.5版のプレイヤーズ・ハンドブックには、「このゲームの基本のしくみ」として、20面サイコロを振って修正値を足し、目標値と比較して高ければ成功、というふうに簡潔に明記され、ルール理解の一助となっています(これは4版でも「基本システム」として同じことが書いてあります)。
    「ソード・ワールドRPG」をはじめとする日本製のシステムでは、2つの6面体サイコロを使うシステムが多数見られます。
    これも、基本的には同じ判定システムを使うことで、理解の簡略さの一翼を担っていると言えます。
    「ブレイド・オブ・アルカナ」のように20面体を多数、「ダブルクロス」のように10面体を多数使うシステムなどは、日本では珍しい方です。
    これらの簡略化によって、求められる「遊ぶための努力」は減少傾向にあります。
    加えて、FEARでは、それまでTRPGを見たことも遊んだこともない人にいきなりルールブックを渡して、その人が遊び方を理解できるかという、一種のブラインドテストを行い、ルールブックの問題点を洗い出していると聞きますので、これも「遊ぶための努力」を減らすための企業努力の一つと言えます。

    個人的には、そのテストは本当に機能しているのかどうかはなはだ疑問ですが。でなきゃ「ドラゴンアームズ」や「異能使い」や「アルシャードガイア」みたいなクソ読みにくいルールブックが世に出るはずがありません。




    一方で、TRPGを含めた「趣味」の中で、上達するための努力や勉強は楽しいのも事実です。
    私事で恐縮ですが、自分は現在はTRPGの他には、Nゲージ鉄道模型を趣味としております。
    鉄道模型もかなり奥が深いものでして、組み立て塗装済みの完成品を買ってくるのはもとより、プラモデルと同様の板キットだったり、ものによっては真鍮製の組み立てキットだったりします。
    プラキットはガンプラにプラ用接着剤と塗装を足したようなものなので、慣れれば簡単に組み立てられます。
    一方、真鍮キットは瞬間接着剤で組めるものもあれば、ハンダ付けで組み立てるというか接合する(ハンダコテも電気工事用の20Wや30Wではなく、自分は80Wのものを使ってます)ものもあります。
    ハンダ付けにはそれなりの知識が必要ですので、ホームセンターでコテとハンダとコテ台を買い、東急ハンズで耐熱ベークライト板を、あとは鉄道模型専門店で工具数種類を揃えて、ハンダ付けの特集がちょうどある鉄道模型誌にあったのでそれを見て練習し、それでようやく組み立てに入るという算段でした。
    確かにお金がかかりましたし、慣れるのに練習が必要でしたが、あれこれ苦労しながらも楽しい時間だったのを覚えています。
    ちなみにTRPGに手を染まる前はエアモデラーでした。
    タミヤではなくハセガワの戦闘機キットをいっぱい買っていました。
    エアブラシを持っていなかったので迷彩は筆塗りでした。
    筆ムラを防ぐのに苦労しました。
    当時の『航空ファン』誌には戦闘機キットの組み立てレビュー記事が載っていました(今でも載ってますね)。
    今のガンプラとは違ってパーツのすり合せや接着剤のはみ出しがシビアだったので、とても人に見せられる代物ではありません。苦労しましたがこちらも楽しかったです。



    さてTRPGに話を戻しますと、自分で買ってきたルールックを読み進めて、それを自分のものにして頭の中に理解できる形にする作業というのは、基本的に楽しい作業であるといえるでしょう。

    (苦痛だったのもあるけどな!「ドラゴンアームズ」とか「異能使い」とか「アルシャードガイア」みたいに)

    一通りルールを覚えたら、そのルールが実際にどう動くのか、頭の中でシミュレートしてみるのもまた楽しいものです。
    で、実際のセッションでルールを動かしてみて、そのルールの楽しさ、キャラクターの楽しさ、ロールプレイの楽しさを実感することができます。
    もうお分かりでしょう。

    TRPGでも、上達するための努力や勉強は、楽しさを追求するためにあると言っていいでしょう。
    ですから、TRPGの上達のための努力や勉強は、「楽しい」という前提の上に成り立っているのです。




    長々と書いてしまいましたが、いよいよ本題です。

    「自分は楽しむために努力や勉強をしたからこうして楽しんでいる。だからお前も、楽しむために努力や勉強をしろ、プロのつもりでやれ」という論理は、果たして正しいものなのでしょうか?




    確かに、自分が上達のために努力や勉強をしたのは楽しかったかもしれません。
    ですが、同じことを同じテーブルの別のプレイヤーに向けても、その別のプレイヤーが努力や勉強の過程を楽しいとは思わないかもしれません。
    むしろ、苦痛に感じてしまうかもしれません。

    (そう、俺が「ドラゴンアームズ」とか「異能使い」とか「アルシャードガイア」のルールブックを読んだ時のような苦痛だよ!)

    しかし、ここに問題があります。
    特にコンベンションで顕著なのですが、一部の「上級者」プレイヤーには、他のプレイヤーにも、自分と同じプレイレベルや上達の努力を求め、それが満たされないプレイヤー(やゲームマスター!)を明らかに軽蔑、侮蔑する者がいるのです。




    海外RPGを遊んできた人が国産RPGのプレイヤーを軽蔑する(例:Cyberpunk 2.0.2.0.、Shadowrun、電撃文庫版D&D)ように。
    クラシックD&Dを遊んできた人がFEARゲーマーを軽蔑するように。
    D&D3.5を遊んできた人が4thのプレイヤーを軽蔑するように。
    「ドラゴンランス」や「フォーゴトンレルム」を読んできた人が、「ロードス島戦記」や「灼眼のシャナ」を読んでいる人を軽蔑するように。




    (参考エントリー:「初心者の敵」

    また、上記のようには行かなくとも、コンベンションでリプレイを読んでいることを前提にプレイヤーを募集していることもあるので、これもある意味で「遊ぶための勉強」をあらかじめ要求していることになるので、注意が必要です。
    ルールブックを読むのが楽しくても、リプレイを読むのが苦痛なプレイヤーもいるんですよ。
    俺とか。
    (参考エントリー:「初心者以下」



    じゃあ、みんな公平に遊ぶにはどうしたらいいんでしょうか?

    一番簡単な方法は、「セッションテーブル内の最低レベルに合わせる」ことです。




    たとえば、「ソード・ワールド2.0」「ダブルクロス3rd」はそれぞれ3分冊ですが、両方とも分冊1だけでセッションを遊べるように設計されている(らしいです。持ってないので…)。
    それなら、分冊1の範囲内のルールだけで遊べば、他の分冊を持っていることによる「努力の差」「勉強の差」はかなり抑えられますので、比較的公平に遊ぶことができます。
    D&D3.5や4thなら「サプリメントを使用しない」とか、『シャドウフェルの影』にある「クイックスタート・ルール」をプレイヤーに配布するなどの方法もあります。
    専門的ですが、ゲームマスターがプレイヤーをレベリング調整することで、「努力の差」「勉強の差」をコントロールすることができるのです。



    重要なので繰り返します。

    私は(私も)、『向上のための努力』を否定しません。
    遊ぶために勉強すること、努力することは楽しいです。
    しかし、それを人に押し付けて、苦痛にするようであってはいけません。




    最後に、私のプラモデル製作のバイブルである、「SUPER MODERING MANUAL MAX渡辺のプラモ大好き!」から、巻末の言葉を。




    「趣味だから楽しく過ごしたい、趣味だからこそ真剣に取り組んで上達したい。どちらも正しい、あるべき姿だと思います。ところであなたは、どちらのタイプに近いですか……。」




    長々とありがとうございました。

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    2009年8月12日 (水)

    夏のことですが

    夏コミなんですが、今回うちの本は委託もありません。
    完全にお休みです。
    私自身は明日の設営日から出発します。
    関係各所の皆様、見かけたらどうぞよしなに。
    参加される皆様は熱中症対策と水分補給をお忘れなく。
    でないと、去年の私のように両足こむら返りで大変な目に遭うことになります。
    カタログとか良く読んで、怪我のない夏にいたしましょう。

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